[一般公開記事]
2019.10.10 up
数日前、約1カ月ぶりに記事をupしたわけですが、この地域限定・読者限定のブログにいつも足を運んでくださり有難うございます。
m(_ _)m
毎度毎度の長文ながら、なんて読みづらいブログなんだと我ながら感じております。
まして、携帯用サイトもあるわけでもなく携帯の小さな画面でも表示は変わらず..
まるで投稿者(=ワタシ)のように扱いづらいサイトだ。(笑)
と自分自身で思っております。
私は以前よりiPhoneを使っているのでandroidのことは分かりませんがSafari左上の4本線マークをタップしていただくと「リーダー表示」モードに移り、文字の大きさやフォントが変更もしくは調整出来て自分好みに読むことができますので是非そちらもご活用ください。
よろしくお願いします。
そして、新しくiPhone11も発売が決まりPro maxくらいになれば携帯からでも十分読める!
よって、技術革新がこの扱いにくいブログを寛容に受け止めてくれるだろうと今後に大きく期待しています。
前回の記事の中でDB法について多く触れました。
その中で、「教科書に線を入れる行為が無駄かそうでないか」という点も書いています。
今回の記事ではまずそのことから始めさせていただきます。
この塾では私が小学生中学生の全学年全科目を指導しているのですが、静岡県の複雑な入試を考えると出題傾向や県平均点で表される難度の高さ。そして、求められるものを考えたときに何となくですが私は英語がイチバン簡単なように感じています。
但し、過去10年以上5日の中で安定して県平均点が高い国語もいちばんやりやすいかもしれませんね。
文法や古典も出題形式は毎年同じですし、対策も立てやすい。投資する労力・努力に対して点が得られやすい科目ということでは国語が.. なのかもしれません。
静岡の入試問題は、全国の公立高校の入試問題の中でも上位に属する難しさというか複雑さを持つように感じています。
どちらかというと私は一昔前の詰め込み教育的なものに対し、その成果を問う今の「名古屋式」の方が様々な面で理に適っているなと思っています。
いま学校ではアクティブ・ラーニング的な指導が取り入れられつつあるようですが、これはひとつにアメリカのように意見を積極的に出し合う、ある意味ディベート等から生み出されるよき面を新しく学校現場で取り入れたいという思いを込めてのことでしょうが、地元で言うと浜松附属中学校や浜松西高中等部のような優秀な生徒が集まる学校であればよいが一般的な中学校(や高校)であればアクティブラーニングは不向きかな~とも思ってきます。それは、それを行うときに内から湧き出てくる「気持ち」や「知識」、そして「エネルギー」がなければほんの一部の生徒の暴走?迷走?で終わってしまうように思うからでもあります。発表する前に準備をしないまま「さぁ、みんなの前で発表してごらん!」と言っても「何」を話してよいのかもわからず黙り込むか、遠慮するか、何も準備せずにとりあえず話す.. で、終わってしまいそうな気がしますけど皆さんはどう思うのでしょうか。
「このことだけは誰にも負けたくない!」「今の座は誰にも譲りたくない!」「もっともっと詳しく調べて真実に迫りたい!」というような思いや考えがあって、それについての経過報告やそういう何か相対的に見て極めて特異なレベルにまで押し上げた何かを持っていることで積極果敢に「前に出る勇気や度胸、思い切りのよさ」みたいなものが多くの生徒にあって初めて成り立つのではないかなと考えています。
大雑把に考えてグループ全体の8割、少なくても7割ほどがそういう生徒たちで構成されていなければディベートもアクティブラーニングもうまくいかないどころか成り立たないのだろうなと思います。
故に、いずれそういう場で自信をもって「前に踏み出せる生徒」を育てるために、今は「自信」や「強い思い」を小学生中学生の段階で積極的に育てることを最優先にしないといけないと思っています。
じゃぁ、どうやって?
となるでしょうが、それはまた今度お話したいと思います。
この塾でそれも今実践しているので、自信をもって報告できるような段階になりましたらお伝えしようと思います。
(;^_^A
更にもう一つ脱線は続くのですが、前回DB法で社会を主とした位置づけで紹介をさせていただきました。そして、今回理科について触れようと考えています。
その前に、社会の勉強の方法について個人的な疑問を挙げてみようと思います。
人が違えば勉強の仕方も様々なのだろうと思いますが、例えば皆さんは歴史というか史記において「編年体」で表し学習することが自分に合っていましたか?それとも「紀伝体」で表し学習することが点数に結び付きやすかったでしょうか?
まぁ、どちらでもよいとは思いますしいずれにしてもバランスかもしれません。個人的には「編年体」式で表しながら踏み込んでいき、結果「紀伝体」で仕上げるというスタイルでいまがあります。
編年体にこだわり固執というか深く踏み込みすぎると、テストに全く関係ないものまで触れることになりメモリの無駄遣いで終わってしまうというか自爆しかねません。
結局のところヒトと同じで「バランス」なのかもしれませんね。
どちらかに偏りすぎるとバランスを失います。
勉強もそうなんだと思います。
まぁ、この話もどこを落としどころにしているのかというと、DB法..(笑)
(;^_^A
ひとつの事柄を事細かに様々な角度から拾い上げることで、理解に深みが生まれる。
これは間違いありません。
テストでは歴史の教科書で50ページ70ページというような広範囲となるときがありますので、すべてのことについて深くふかく掘り下げて理解していく編年体だとあまりにもロスが大きすぎます。
そこで、前回記したような「実際に学校のテストで出された問題」の深さを限度とし掘り下げ、ひとつひとつの項目を編年体で理解しつつも、幅広く史記を理解し全体像を把握しやすい紀伝体の要素を取り入れたのがDB法ではないかと伝えたいわけです。
も~、面倒な人間ですね。
嫌い嫌いで右の方向に徹底的に進んでいったら、いつの間にか地球を1周回ってしまって好き(=西)の方向から自分がやってくるというオチ。(笑)
やはり地球は丸かった!
ということなのでしょうか..
脱線しすぎて本題に踏み込むことができませんでした。
理科のDB法についてはこの次の記事で触れさせていただきます。
理科のことに触れることができませんでした。
すみません。
m(_ _)m
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