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[一般公開記事]

2020.04.17 up

「なぜ朝鮮戦争は起こったのか」の真実を読み解く(No,1)..

 新型コロナウィルス感染症.. 日本もとうとう大変な局面を迎えることになりました。
 塾内の様々な対応に、このwebサイトもまったく更新ができていません。

 ふと思いついたのが、この塾の立ち上げの準備で丁度去年の今頃でしょうか..
 「web制作会社の方から試しに記事を作ってください」と言われ、下書きした記事があったのを思い出しました。

 この中央塾での指導をイメージして書き記した内容です。
 ウチの塾はかな~り踏み込んで教えていますよ!

 あるH中の先生に「○○さん(=生徒)は何かマニアックな問題でも解いているの?」と昨年9月か10月に言われたくらいです(笑)。

 何も更新しないままも塾ブログとして変ですから、タイミングとしても悪いですけれど塾の紹介にあたらないかもしれませんが、この塾の指導者がどのような知識やどこまで踏み込んで指導しているのかを知っていただくよい機会だと「かな~り前向きにとらえ」記事の公開をさせていただきます

 丁度、緊急事態宣言が出されたその数日前にこの範囲の授業を新中3生に行ったものですから、塾生にも読ませようとオモッテイマス。w

 では、以下が試験運用時に書き記した記事です。
 紹介させてください。


————————————–

 今回からいくつかの回に分け、「なぜ朝鮮戦争は起こったのか」「朝鮮戦争のはじまりから停戦まで」を紐解いていこうと考えている。

 朝鮮戦争.. そう南北の分断が決定的になったきっかけが1950年(昭和25年)6月25日のことだ。この日、日本の新聞各紙が朝鮮半島のことでもちきりとなった。

 「北鮮・韓國に宣戦布告」

 この文字が新聞に大きく掲載され報道されたわけだ。
 この日、朝鮮人民軍が38度線を越え、韓国に侵攻。両国ともに激しい戦闘が繰り広げられた。韓国人の死者と負傷者は政府発表によると300~500万人(※静岡県は370万人都市)とされ、その戦闘の激しさが物語っている。

 朝鮮戦争といっても、表向きは「韓国」vs「北朝鮮」の戦いだが実質は「韓国を支援するアメリカ」と「北朝鮮を支援するソ連・中国グループ」という冷戦構造が浮き彫りとなった戦いでもある。現在もこの戦争が終わっていないということは皆さん既知のことと思うが、第1回の今回は劣勢だったというか北朝鮮の侵攻に押され釜山周辺にまで韓国政府(軍)が追い込まれた状態から、劣勢だった韓国軍を支援していた国連軍が行った「仁川上陸作戦」..

 そう、あえて日本に近い釜山に上陸するのではなく、わざわざ北朝鮮に近い仁川側から上陸したのかについても機会があれば触れておこうと思う。

 GHQによる日本の統制・管理の中心となったダグラス・マッカーサーが仁川上陸作戦の指揮官。韓国政府(軍)は押しに押してくる北朝鮮軍に首都ソウルから釜山周辺まで一時的に攻め込まれたわけだが、首都ソウル近郊の仁川(※現仁川広域市月尾島)より7万人のアメリカ軍(正確には国連軍)が一気に上陸し形成は逆転。この7万人の上陸したアメリカ人はどこから来たのかというと、実は在日米軍基地に駐留の米軍だった。

 大戦後、日本には7.5万人のアメリカ兵が駐留し、そのほぼすべてが仁川上陸作戦に参加したわけだ。朝鮮戦争が始まりアメリカ本国から朝鮮半島まで兵隊を送り込む時間がない。そこで、日本にいるアメリカ兵を朝鮮半島に送るという判断をしたわけだ。

 話は更に昔に戻るが、そもそも朝鮮半島は日本が1910年の韓国併合条約以降1945年の終戦まで日本統治時代が続いたわけだが、その当時の首都京城(現在のソウル)の約3分の1は日本人だったというから驚きだ。1945年に日本が連合国に降伏すると朝鮮半島の日本統治が終わり、これを機に朝鮮半島情勢が大きく動き出すことになる。まず動いたのがソ連。ソ連は、日本の敗戦が濃厚になるとソ連軍が朝鮮半島に侵攻をかける。1945年の8月になると満州国から朝鮮半島北部にかけて攻めてくるわけだ。のちに朝鮮半島はソ連が統一することになるのだが、アメリカとしては朝鮮半島全体がソ連に吸収され最悪の想定とならないよう「アメリカ側からソ連に対し、南北に分断し統治すること」を提案したわけだ。その際、朝鮮半島をどこで分断するかを考えたときに地図上の北緯38度線が朝鮮半島の真ん中を通っていることに気づく。そこで、一旦38度線が国境として定められたわけだ。


 当時のアメリカ大統領はハリー・トルーマン、そしてソ連の首相はヨシフ・スターリン。アメリカ側からの分割統治の提案に対しそれを受け入れ、朝鮮半島の北部はソ連が。そして南部をアメリカが支配することになる。その後、1948年に「朝鮮民主主義人民共和国」が成立、それを追うように「大韓民国」が成立の運びになる。



 ここまでをまとめると「朝鮮戦争が起きたきっかけ」の背景にはアメリカ・ソ連の存在があるという点。そして、朝鮮半島分断までの経緯について簡単に述べたわけだが、今回さらにもう少し奥にまで踏み込んでいこうと考えている。


 朝鮮半島の南北分断が今回のテーマだが、アメリカは日本を占領しその後の統治については事細かく話し合われていたとされる。しかし、その当時朝鮮半島情勢がこのようになるとはまったく考えていなかったとされ、当然朝鮮半島にまで意識は低かったという。それに対しソ連側は、満州国・朝鮮半島を統治するために様々な策を練っていたとされ、その一つとしてソ連軍は「朝鮮半島出身者による特殊部隊」を結成、準備し、支配地拡大へ力を注いでいたとされる。

 アメリカとソ連の北緯38度線の南北分断案によって朝鮮半島の北と南で2つの政府が成立した。1948年に北では「朝鮮民主主語人民共和国」が建国され、ソ連の後押しを受けた金日成が首相に就いた。一方、朝鮮半島の南では1949年に大韓民国が建国され、アメリカから帰国した李承晩が大統領に就任。李承晩といえば、竹島をめぐる李承晩ラインといえば誰のことかスグにわかるだろう。

 第二次世界大戦後の世界は、米ソが激しく対立する時代でもあり、朝鮮半島は所謂「冷戦構造」を表すそのままの形になったといえる。
 ところがここで事態は一転する..  北朝鮮の金日成首相(当時)が「この朝鮮半島を軍事力で統一したい」という野望を持っていたことを忘れてはならない。金日成(1912~1994:朝鮮民主主義人民共和国初代最高指導者)は、少年のころから抗日独立運動の指導者として活躍したとされる人物。第二次世界大戦中は、ソ連軍の朝鮮人部隊に加わり大尉についていたとされる。朝鮮半島を支配したいと考えていたにとって都合のよい国家を誕生させたかった。そういう意味では金日成はうってつけの存在だった。ソ連の陰からの支援もあって、金日成は1994年に死去する迄独裁者として君臨することになる。  その後を受け継いだのが、金正日で現在の金正恩へと3代にわたって世襲する独裁国家を維持することになるわけだ。

 話は、金日成が軍事力をもって朝鮮半島を統一したいと以前より考えており、1950年6月遂にその思いを実行に移すことになる。  そうここで朝鮮戦争が勃発だ。
(No,2に続く..)

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